MARCY生後69日(1959年5月12日 )1959年の世相とは?
こんばんわMARCYです。
第2回の写真は、第1回よりもMARCY若い。生後69日の写真です。裏書には1959年5月12日とあります。1959年の世相はどうだったんでしょうか?1950年代から2000年代までの世相や流行をまとめたサイト「年代流行」で見てみましょう。
何といってもこの年一番のトピックは上皇陛下と皇太后陛下(美智子様)のご成婚ですね。MARCYの同級生の女子には美智子という名前がとても多かったです。また、南極で1年間置き去りにされたタロウとジロウの生還も感動を呼びました。
週刊少年マガジンと少年サンデーが発刊され、伊勢湾台風が吹き荒れた年でもあります。そして第1回レコード大賞には水原弘さんの「黒い花びら」が輝きました。MARCYの生まれたフィフティーズ最後の年はこんな年だったんですね。
出典:https://gigazine.net/news/20090318_sunday_magazine/
MARCYの自分史ブログの第2回。今回は「そもそも自分史ってなに?」というテーマで進めていこうと思います。そして先ずはMARCYも自分史活用アドバイザーとして所属する一般社団法人自分史活用推進協議会について説明しますね。
一般社団法人 自分史活用推進協議会
MARCYの自分史活用アドバイザーというライセンスは、この自分史活用推進協議会から認定されたものです。
自分史推進活用協議会は、2010年7月7日に設立されました。その設立の趣旨や会の歴史は、「自分史活用推進協議会の設立趣旨とビジョン」にわかりやすく書かれています。少しながくなりますが、”今なぜ自分史なのか”を理解していただくために一部を引用したいと思います。
今、日本と世界が大きな転換点にあるように感じている方は多いのではないでしょうか。特に、2008年9月に発生したリーマンショックや2011年3月に起きた東日本大震災と福島原発の事故以降、時代は大きく変わりつつあります。
21世紀に入って、成長の時代から成熟の時代へ、モノの時代からココロの時代へ変わっていくと言われていました。ただ実際のところ、資本主義社会のなかで、ほとんどの人たちはまだまだお金やモノにとらわれ、無限の経済成長を信じて生きているように見えます。
しかしながら、東日本大震災が起きたあとの日本人の意識は急速に変わっています。それは大津波により東北沿岸の建物が破壊される映像にショックを受け、自分たちが築いてきたものが一瞬にして失われてしまうことに無常観を持ったからではないでしょうか。原発事故による放射能の影響により、住み慣れたところから離れないといけなくなった人たちのことを思い、憤りを感じている方もいらっしゃることでしょう。
結局のところ、いくらお金やモノをたくさん得たところで、それらは死んだ後まで持っていけるわけではなく、いつ失われるかわからないものであり、それで必ずしも成功や幸福が得られるわけではないことに、改めて気づいた方が多いのではないでしょうか。やはり大切なのは「モノ」ではなく「ココロ」であり、特に人とのつながりや、共感、共有、共存、感謝、尊敬、信用、信頼といった価値観が、これから重要になってくると思われます。
また、社会が豊かになり、技術が進歩し、情報化が進んだことで、個人ができることの選択肢が増え、自分のやりたいことがやろうと思えばほとんどのことができるようになりました。その一方で、自分が本当にやりたいことがわからず、将来に希望が持てないという人たちも増えているようです。あふれる情報にまどわされず、自分が本当にやりたいことを見つけ、将来に夢や目標、希望を持てるようになるために、自分のことを深く知ることが必要になってきています。
そういう時代背景のなかで、一般社団法人自分史活用推進協議会は、2010年7月7日に設立されました。
自分史というと、会社を定年退職した高齢者が、自分の生きてきた軌跡を文章にまとめ、自費出版で本にするというイメージを持っている方が多いと思います。確かに庶民の歴史の記録としての自分史の効用は大きいですが、自分史の魅力はそれだけではありません。自分史は、自分のことを客観的に振り返り、より深く自分を知るために役立ち、また自分をPRしたり、ほかの人とのコミュニケーションをよくしたりするツールとしても役に立ちます。
自分史活用推進協議会を設立した趣旨は、自分史の魅力とメリットを多くの人たちに伝え、自分史の活用法を普及し、自分史づくりのサポートをしていくことで、自分史をつくって自分を見つめ直し、自己の理解を深め、自分の個性、強みを発揮して自分らしく生きていく人を増やし、日本を元気にすることにあります。自分の好きなこと、得意なこと、強みを活かせることで、他の人や社会の役に立ち、価値をつくりだし、その価値に対する報酬をきちんともらって、幸せに生きていける人を増やすことで、「自分史で日本を元気にする」というビジョンを実現するために活動しています。
2012年の春から正式に「自分史活用アドバイザー認定講座」を開始し、2016年初頭までに約300名の自分史活用アドバイザーが誕生しています。2012年の夏には、自分史の和装綴じ本が簡単に作成できる「自分史作成キット」を日本法令から出版しました。また2012年に、お互いが自分の歴史を語り合って話(は「8」・な「7」・し)の花(は「8」・な「7」)を咲かせる日として、8月7日を「自分史の日」に制定し、この日に「自分史の日」のお披露目と「自分史作成キット」の出版記念イベントを東京・田町の港勤労福祉会館で行いました。
中 略
NHKのEテレ「団塊スタイル」の自分史特集に当協議会の理事が自分史の専門家として出演したり、多くの新聞や雑誌が自分史を取り上げたりなど、メディアからの取材の申し込みも増えています。また、朝日新聞社が2014年夏に開始した「朝日自分史」に協力するなど、いろいろな企業や団体からの協力や提携の要請も増えてきていて、まさに社会全体の自分史への関心が高まってきています。2015年は戦後70年を迎えたこともあり、NHKのニュースやTBSの情報番組などのテレビや、新聞、ラジオ、雑誌など、
マスメディアに自分史がテーマとして取り上げられる機会、協議会が取材協力する機会がさらに増えてきました。今後も、よりいっそう自分史への関心が高まってくることは間違いないでしょう。
いかがでしょうか?自分史は自分を深く知り、自分をPRする材料にもなるのです。けして終活世代だけのものではありません。それでは次に、協議会が出来る前の自分史の歴史についてお話ししたいと思います。
自分史の歴史
1975年7月に歴史学者の色川大吉氏が「ある昭和史 自分史の試み」という本を出版しました。この本は中公文庫で再刊されていますので、今でも入手することが出来ます。
この本で初めて「自分史」という言葉が正式に使われたと言われています。1975年以前は「自分史」という言葉はほとんど使われていませんでした。
第二次世界大戦以前は、自伝や自叙伝、伝記はありましたが、偉人や有名人のものがほとんどで、一般の人が生活を記録したような書物はなかったのです。ここで色川大吉氏のこの本の中で、自分史の意義がよくわかる部分を引用します。
歴史の枠組みがどんなに明快に描けたとしても、その中に生きた人間の中身がおろそかにされているようでは、専門家のひとりよがりとしてみなされよう。(中略)たしかに同時代はあまりにも身近すぎて、歴史として熟れていない。それにもかかわらず、もっとも書かれねばならないものだし、今こそめいめいが”自分史”として書かねばならないものだと思う。
人は誰しも歴史を持っている。どんな町の片隅の陋巷に住む「庶民」といわれる者でも、その人なりの歴史を持っている。それはささやかなものであるかもしれない。誰にも顧みられず、ただ時の流れに消え去るものであるかもしれない。しかし、その人なりの歴史、個人史は、当人にとってはかけがえのない”生きた証し”であり、無限の思い出を秘めた喜怒哀歓の足跡なのである。--この足跡を軽んずる資格をもつ人間など、誰ひとり存在しない。
「MARCYの乱読日誌」で紹介した服部真澄さんの小説「エクサバイト」は、故人の映像としての記憶を100年後に集大成して、ち密な世界史を構築するという壮大な物語でした。
色川大吉氏のこの言葉を読むと、ささやかな市井の人間である私たちひとりひとりの歴史こそが、人類の歴史を紡ぐうえで、ひとつも欠かす事の出来ない大切な要素であるのだ思えます。60歳で再起をはかるMARCYの自分史もまだまだ捨てたもんじゃないかもしれないですね。
その後、1993年に日本自分史学会が設立され、1999年には愛知県春日井市に日本自分史センターができました。自分史のサークルもたくさんつくられ、自分史に限りませんが、現在では自費出版による本が年間数千点出版されるようになっています。
そして2010年に一般社団法人 自分史活用推進協議会が設立されることになったのです。MARCYの自分史ブログ第2回は、自分史活用推進協議会の紹介と自分史の歴史について、書いてきました。次回は「自分史をつくる意味」や「自分史をつくるメリット」がテーマです。
MARCYは自分の得意とする映像制作の分野で、主に沖縄のみなさんの自分史ビデオや自分史を映画にするお手伝いをしたいと考えています。インタビュー動画を撮影し、再現ドラマの脚本をつくることも可能です。お気軽にご相談ください。
2020年1月15日23時2分。それではみなさん、おやすみなさい。
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