MARCYの自分史BLOG 第7回は番外編 名古屋の熱田神宮に行ってきました!!MARCYは神社が大好きです。

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第7回は番外編 MARCYは神社が大好き

こんばんわMARCYです。私用で名古屋に行ってきました。で、7回目はちょっと番外編でお届けします。学生時代に一度いったことがあるのですが、今度初めてじっくりと熱田神宮を見てきました。1月ももう終わりなのに参拝の方が多いのにびっくりしましたね。熱田神宮

そしてアイキャッチ写真は、熱田神宮のそばにある秋葉権現の毘沙門天像です。太陽を背に浴びてちょっと神秘的な雰囲気がかっこいいでしょう。まあ言ってみれば今回は、MARCYの大学時代に端を発する現在進行形の自分史だと思ってお付き合いください。

神社好きの理由その1 國學院大學神道学科への入学

MARCYの神社好きには理由があります。もともと民俗学を学びたくて國學院大學の史学科を受験したのですがまじめに勉強しなかったので、三浪しても合格できず。結局第2志望で書いた神道学科に入学しました。

受験勉強まったくしないくせに、柳田国男や折口信夫が教鞭をとり、そして沖縄の外間守善先生が学んだ國學院へのこだわりだけは人一倍あったんですね。入学できただけで、とても嬉しかったことをおぼえています。

MARCYは結局大学にもまじめに通わず、バイトにあけくれたせいで結局中退してしまったんですが、今でも國學院大學へのあこがれが強くて、機会があれば復学して神主の資格を取りたいなんて思ってるんですよ。おもしろいPVを見つけたので見てください。学内でこんなことやってる大学なんて他にないですよね。

 

そしてこの神道学科の同級生たちがとてもユニークでした。もちろん神主の養成コースですから全国の神社の子弟たちがほとんどなんですが、なかには神社本庁に属さない神道系の新興宗教の跡取りたちもいたんです。例えば天理教の3代目になることが決まっているやつとか、黒住教の幹部の息子とかいましたね。

いや実はこれが面白かった。神社本庁に属さない神道系の教団には、それなりの理由があります。天理教や黒住教には教祖がいて教義があります。宗教だからあたりまえじゃないかと思う方も多いかもしれませんが、あたりまえではありません。

日本の神道は祭祀を目的とする神社神道ですので教祖も教義もありません。それに対して教派十三派と呼ばれる教団は教祖がいて教義を説く、神社神道とは明確に一線を画する存在なんです。天理教の開祖の中山みきさんのおふでさきは有名ですよね。

当時4年生の大学で神道学科という神主の養成コースを持つ大学は、國學院と三重の皇學館大學のふたつだけでした。三重皇学館大学は伊勢神宮の直営の大学で、言ってみれば国家神道ばりばりの硬派です。推測ですが教派の子弟の入学などは認めなかったと思います。

ところが、國學院はどちらかというと神道を学問として追及するといった雰囲気があって、教派の子弟やMARCYのようなふらふらした学生も受け入れるような柔軟な校風の大学だったんですね。信じられないことに自治会は法政大学に並ぶ革マルの拠点として有名でした。

MARCYは民俗学の本拠であり自由な校風の國學院で、神道のふたつの面に触れることができました。それは日本古来からのアニミズムやシャーマニズムの匂いを色濃く残す、とても原始的なおおらかな信仰としての神道と、明治以降の天皇家を中心と考える国家神道とのふたつの面です。

神社好きの理由その2 ベーシック・シントウとの出会い

神道学科の担任であった小川先生(國學院関係者の方へ。記憶は確かだと思いますが、MARCY不真面目な学生だったんで間違いだったらごめんなさい)が、また非常にユニークな方でした。今はどうか知りませんが、当時國學院では神道学科だけが入学時に1週間の合宿授業がありました。その中で小川先生は、ベーシック・シントウという考えを述べられたのです。

それこそ、国家神道とはまったく違う”すべてのものに神を見る”日本本来の神道のあり方でした。小川先生はこのベーシック・シントウという考え方を英語の論文としても発表されていたのです。

MARCYはある意味、この小川先生のベーシック・シントウという考えに魅せられたんですね。沖縄には現代でも、ユタやノロといったシャーマンたちが信仰を司り祭祀を行っています。

女性が台所にヒヌカン(火の神様)を祀る原始シャーマニズムに近い信仰を守っている沖縄人のMARCYには、このベーシック・シントウの概念がひじょうにしっくりきたんですよ。

それ以来、MARCYは出張やプライベートな旅行でも出来るだけ地元の神社を回る時間をつくるようになりました。そして神社にお参りする際には必ず御祭神が誰なのかを確認します。そのうえで表向きの御祭神の裏側にいらっしゃる神様にもご挨拶したいと思うようになりました。

神社好きの理由その3 隠された神様たち

裏側の神様ってなんだ?裏側って言葉が悪いですね。うーん、言葉をかえれば表の神様に隠された本来の神様といった方が良いでしょうか?つまり戦いに敗れて名前を奪われ、表側に君臨する神様に片隅に追いやられたもっと古い神様のことです。

この隠された神様たちという概念に出会ったのが、梅原猛さんの「隠された十字架」「葬られた王朝」そして「神々の流竄」といった著作群で語られた梅原史観いわゆる怨霊史観です。

梅原猛さんは晩年に自説の怨霊史観に懐疑的になってしまいましたが、MARCYには逆に定説になりつつあるように思います。未読の方は、神社ではありませんが法隆寺建立と聖徳太子の謎に迫る「隠された十字架」を読むことをお薦めします。絶対的におもしろい!!

隠された十字架

とくに出雲大社が、大国主命の怨霊を封じ込めるための社であるという指摘には、呆然とするほどの衝撃を受けたMARCYでした。そして日本の神様には実に怨霊が多いのです。

たとえば長野県の戸隠神社には、宝光社、中社、奥社がありますね。宝光社には天表春命、中社には天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)、奥社には天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)といった大和朝廷ゆかりの神様たちが、御祭神として祀られています。

ところが、奥社のさらに奥に九頭龍社という祭殿があり、そこには九頭龍の大神という本来の地主神が祀られているのです。戸隠神社のホームページにはこう記されています。

ご鎮座の年月不詳ですが、天手力雄命が奉斎される以前に地主神として奉斎され、心願成就の御神徳高く特別なる信仰を集め、また古来より水の神、雨乞いの神、虫歯の神、縁結びの神として尊信されています。

あたりまえのことですが、歴史は常に勝者が記すものです。日本全国津々浦々に大和朝廷の勢力が広がっていくときに、地元の神様たちは戦いに敗れ、時には殺され、時には名前を奪われて歴史の表舞台から姿を消していったんですね。

MARCYは沖縄という、中国や日本といった大国に翻弄された歴史を持つ土地に生まれたせいか、滅ぼされた神様たち、強者に服従することを良しとしなかった神様たちに強い共感を覚えるのです。

この戸隠神社に関しては日本の伝奇SFの大御所である半村良さんにそのものずばりで、「戸隠伝説」という中編があります。まさに名前を奪われた戸隠の神たちが、名前をとりもどすための戦いを天手力雄命を筆頭とする大和朝廷の神たちに挑む物語です。この小説も痛烈におもしろい!!MARCYのお薦めです。

神社好きの理由その4 四拍手(死拍手)をうつ神社

皆さんは、神社にお参りするときには、一般的に「二拝 二拍手 一拝」という作法でお参りしますよね。でも四(死)拍手をうつ神社があることを知っていますか?出雲大社と宇佐神宮ではそうなんです。他にもあるかもしれませんがMARCYが知っているのはこのふたつです。

出雲大社は、梅原猛さんの怨霊史観がある意味定説となり、大国主命の怨霊を封じ込めるための社であることは理解できますが、なぜ宇佐神宮ほど社格の高い神社で四拍手を打つのでしょうか?宇佐神宮ももしかしたら怨霊を封じ込める機能を持った社なのでしょうか?

このあたりの話は、以前に「MARCYの乱読日誌」で紹介した高田崇史さんの「QEDシリーズ」を通読すると良く理解できます。高田史観とでもいうべきQEDシリーズでは、天照大神でさえ怨霊と位置付けられているのですから驚いてしまいます!!

QEDシリーズは日本の歴史や神様に興味のある方なら読んでけっして損はしませんので、読んでみてください。MARCYの絶対的なお薦めですよ。

なんだか自分史ブログなのか乱読日誌なのか、わからなくなってきました。で、前置きがながくなってしまいましたが、話は熱田神宮に戻ります。

熱田神宮の謎!?

では、MARCYが今回40年ぶりにお参りして、初めてじっくり見ることができた熱田神宮は果たしてどうなのでしょうか?御祭神は熱田大神ですが、これは草薙剣を御霊代とする天照大神と同体とされています。

そもそも神宮の社号を持つのは、天皇や皇族をお祀りする神社に限られています。熱田神宮もとても由緒のある神社であることは、三種の神器である草薙剣がご神体であることからも明白であり、いまさらMARCYが言うまでもないことですよね。

それでも・・・怨霊史観や高田崇史さんのQED的視点にどっぷりはまっているMARCYの目には、もしかしたら熱田神宮も怨霊封じの社なのか?という疑問が湧いてきました。なぜならば、怨霊封じの社では定番の法則があるからです。

橋を渡る

先ず、怨霊の祀られる神社では参道の途中で、この世とあの世をへだてる川(橋)を渡ります。熱田神宮の参道でも橋を渡りました。

橋

参道が曲がる

曲がる参道

次に怨霊は直進することしかできないため、封じ込めるために参道が曲がっています。太宰府天満宮などでは見事に直角に参道が曲がっています。熱田神宮では直角ではありませんが、やはり参道が曲がっていました。

一之御崎神社

一之御崎神社

そしてMARCYがもっとも疑問を持ったのがこの一之御崎神社でした。わざわざご祭神と同体である天照大神の荒魂だけを分祀した神社があるのです。しかもなんと荒魂だけとはいえ、皇室の祖である天照大神をお祀りする神社の名前が”一之御崎”ってどうでしょう!!

御崎とは七人御崎に代表されるように、悪霊を表す言葉です。ピクシブ百科事典から引用しますが

高知県を始め、主に四国地方及び中国地方に伝わる亡霊の集団または荒神や祟り神、行合い神の類だが、創作によっては妖怪の一種として扱われる事もある。下記のように、妖怪の犠牲になった者を祀って「神」にする場合も含む。四国には、他にも七人同行七人童子七人御前七人同志七人御霊、などといった「7人」一組の怪異が伝えられている。彷徨える霊魂なども同類とされることがあり、ある陰陽道の一派が使役した「川ミサキ」や「山ミサキ」、その別に「川ミサキ」や「「谷ミサキ」などもあるとか。姥捨て山にちなんだ似た話、「オタチキサン」、など類似の伝承はけっこうあるのかもしれない。「ミサキ」の意味には諸説あり、先端が尖ったものには霊力が宿るとされていたので「岬」や「神の使い」、元は犬神を意味した小神を指す御前(ミサキ)、などなど。正月女が七人ミサキになる、という伝承もあるそうだ。

これってあり得ない命名だとMARCYは思いました。次に神宮内の配置図を見てください。

神宮配置図

本宮に向かうには参道は微妙な曲がり方でしたが、一之御崎神社に向かうには、完全に直角に折れ曲がるんです!?

これはやはり怨霊封じの社なのではないのか?とMARCYは思ったんですね。それで沖縄に帰ってきて慌てて、高田崇史さんのQEDシリーズ、カンナシリーズ、鬼神伝シリーズなど既読のシリーズをひっくり返して調べたのですが、残念ながら熱田神宮怨霊説はありませんでした。

ですのでこれは完全にMARCYの思い込みに過ぎないのかもしれません。
ただし高田先生の公式WEBサイトを見てみるとMARCYが未読の「神の時空」シリーズの第2弾「神の時空 倭の水霊」で熱田神宮の謎がテーマになっているようです。

熱田神宮が怨霊封じの社なのかどうか・・・その結果は「神の時空 倭の水霊」を読んで「MARCYの乱読日誌」ででもご報告したいと思います。

これもやはり自分史の一コマ

さて今回は、沖縄在住のMARCYの國學院大學在学中から始まった神社への興味から、還暦を超えた現在まで続く、ある意味でMARCYの人生観を構築している歴史の見方を、熱田神宮の参拝を機会にしてお話ししました。

いかがでしょうか?MARCYはこのように自らの人生観や歴史観を語ることも、ひとつの自分史としての切り口だと思います。

今回のようにじっくりと神社を参拝する様子を語りを入れながら映像にしたなら、立派な自分史ビデオ、いや多少の演出を交えたら自分史の短編映画としても成立させることができるかもしれません。

好きな神社についてお話したら熱が入ってしまいました。いつの日か國學院大學に復学して神主の資格を取得する日を願いつつ、番外編としてお届けしたMARCYの自分史ブログ第7回はこれで終わりです。

2020年1月29日AM2:05分。おやすみなさい。

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