MARCYの自分史BLOG第8回 MARCY映画をつくる その1(2012年~2016年)テーマ型自分史として

神人クランクアップ 自分史BLOG

テーマ型の自分史作成の手法

こんばんわMARCYです。MARCYの自分史ブログ第8回目。今回はMARCYの人生で最良のエピソードであり、同時に最悪のエピソードでもある映画「神人~ザンの末裔~」をつくった時のことをお話しします。

ところで、自分史作成の手法には、大きく分けて3つのタイプがあります。いちばんオーソドックスなのは時系列型で、生まれたときから現在までを、文字通り時系列で表現していく方法ですね。

そしてMARCYが、この8回目でお話しするのは、自分史作成の手法ではテーマ型と呼ばれる手法です。自分史活用推進協議会のテキストから引用しますと

2. テーマ型 基本的な自分史は時系列に沿ってつづりますが、それ以外の構成もあります。

波瀾万丈な人生の場合、時系列に沿ってつづるにはテーマが多すぎる場合は、思い切ってばっさりとテーマを一つに絞る「テーマ型自分史」にする方法があります。

たとえば、自分の趣味の「旅行」「写真」「音楽活動」などをテーマにしたり、「学校生活」「社会人生活」などの特定の時期に絞ったり、家族や友人の誰かとの特定の関係にテーマを絞ったりすることが考えられます。

それは、あるテーマに焦点を当てて、主人公の人生を描き出す自分史です。生い立ちから現在までを描くことは少なく、テーマに関係の深い時期やできごとに絞った内容のものになります。

とあります。まさにMARCYの人生最大といっても過言ではないエピソードにテーマを絞った、テーマ型自分史として、この回を進めていきたいと思います。

そしてこのテーマ型自分史の良いところは、テーマがひとつとは限らないので、何度でも自分史づくりを楽しめるというところです。前回のMARCYの自分史ブログでは、名古屋での熱田神宮参拝をネタにしてMARCYの人生観や死生観についてお話ししたテーマ型の自分史ですね。

このようにテーマ型の自分史は、時系列にこだわらずに作成が可能ですから、あまり尺の長くない自分史ビデオや自分史映画などの映像でつくるにもぴったりの手法です。

自分のいちばん輝いていた時代や、夢見ていたことをドキュメンタリーや、場合によってはフィクションとして自分史ビデオや自分史の映画として作成することができるのです。自分史作成を意識し始めたら、テーマ型での自分史ビデオも検討してみてはいかがでしょうか。

MARCYはなぜ映画をつくろうと思ったのか

MARCYが7年弱勤めた印刷会社を退職したのは2011年1月末でした。辞めた理由はいくつかありますが、本題とは関係ないので説明は省きます。退職した時にMARCYは51歳になっていました。まあ、普通に考えて再就職はむつかしい年齢ですよね。

ドキュメンタリー映画の制作にかかわる

なのでMARCYは、辞めてすぐに友人のプロダクションが企画したドキュメンタリー映画のサブプロデューサーとして仕事を始めたんです。2001年に転職したCGプロダクションをかわきりに、既に映像系の職歴が10年を超えていたんですが、映画制作の経験は初めてのことでした。

MARCYは映像制作の経験が今年で20年目に入りましたが、もともと撮影や編集の技術をもっていない、ぶっちゃけいうと営業・企画サイドの人間なんですね。CMやプロモーションビデオを受注して予算管理をするプロデューサーとしての役回りです。

営業とプロデュース側ですが、もともと撮影現場は大好きだったんです。コスト管理の面から考えると、営業やプロデューサーがいちいち現場に立ち会うべきではないと、よく怒られましたが、なんやかやと理由をつけて現場にでるのを楽しみにしていました。

そしてこのドキュメンタリー映画のロケや編集の現場に立ち会った経験から、自分自身で映画をつくってみたいという気持ちが、しだいに強くなっていったんです。ちょうどそのころに沖縄県に文化等コンテンツファンドというコンテンツへの投資ファンドができました。

沖縄県に映画に投資するファンドができた!!

MARCYはこれだ!!って思いましたね。そして文化等コンテンツファンドに応募するための準備を始めたんです。投資を受けるわけですから、劇場公開が前提になる映画です。そして、MARCYはドキュメンタリーではなくて、エンターティメントをやろうと思いました。

そのころ、友人の監督に頼まれて琉球放送の旧盆恒例「オキナワノコワイハナシ」のプロデュースを引き受けました。やはりエンタメといえばホラー。ホラーといえば全世界共通の王道テーマ。そしてそのころホラーやSFといえば3Dが大いに流行っていました。

こうしてファンドに応募する基本的なアイディアができたんです。
沖縄初で沖縄発の3Dホラー!!神人(かみんちゅ)の少女が魔物(まじむん)と闘う!!」ちなみに沖縄で神人とはユタやノロなど神懸かりの体質を持つシャーマンのような人のことで、まじむんは、霊的な存在や時には妖怪のような”人外”の存在を指します。

基本的なコンセプトはまさにこの一行。このコンセプトでファンドへ応募するための企画書を作っていきました。これがMARCYが映画をつくろうと思ったきっかけなんです。本格的な映画製作の現場を経験したことと、沖縄県にファンドが立ち上った2点ですね。

次に3Dホラー映画をつくる意味を考えた

3Dはブームだった

今となっては映画が興行的に失敗した原因のひとつとはっきりわかるんですが、MARCYは3Dで映画をつくることにこだわりました。2011年当時、陰りが見えてきたとはいえアバターに始まる第3次3Dブームの真っただ中でしたし、CSやBSの3D放送も始まっていたからです。

またファンドの審査員へのアピール・ポイントとしても、沖縄初で沖縄発の3Dはインパクトがあると思ったんですね。そこでおつきあいのあったJVCケンウッド・ビデオテック社に協力を求めました。

ビデオテック社は、当時ハリウッドの20世紀フォックス社から2Dの映画を3Dに変換する仕事を直接受注していました。「プレデター」や「アイ,ロボット」などの一流のタイトルで既に実績があり、その精度の高い変換技術には定評がありました。

MARCYは沖縄で2D3D変換作業を事業化できないものかと考えて、ビデオテック社と接触を重ねていたので「神人」の3Dでの映画化にも、協力を求めたんです。ビデオテック社もこころよく応じてくれ、審査員にアピールする技術的な裏付けでサポートしてくれました。

冷静に振り返るとこのような、「ブームだから」また「審査員受けがいいから」といった理由は、映画の本質とはまったく関係がありません。とにかく映画をつくりたい一心で舞い上がっていたMARCYにはほんとうに大事な部分が見えてなかったんだなと、今ははっきりわかります。

ホラーは全世界共通の映画ジャンル

映画の流通についてはこう考えました。ホラー映画というジャンルは全世界共通です。だから、あえて沖縄から東京市場を目指さずとも、アジアの映画市場に売り込めば良いんじゃないか。

日本の配給会社はNO

実はこれも後づけの理由です。東京市場を目指す必要はないと言った最大の理由は、ビデオテック社にお願いして、先行的に企画の感触を探ってもらった東京の配給会社が、まったく関心をしめしてくれなかったことでした。

日本の映画界では当時すでに

  • ヒットした小説やマンガの原作があること
  • 著名な俳優やアイドルなどが出演すること
  • 制作費が少なくとも1億円以上であること

の3条件が満たさなければ新作の映画企画は、ほとんど相手にされなかったのです。MARCYの企画した「神人~ザンの末裔~」は、どの条件も満たしてはいませんでした。

つまり脚本がオリジナルであり、著名な俳優やアイドルの出演もなく(のちに千葉真一さんの特別出演が実現しましたが)、制作費はどんなにかきあつめても数千万にすぎませんでした。

香港フィルマートでの衝撃

このころから沖縄県は、フィルム・オフィスをフルに動かして主にアジアへのコンテンツ展開に力を入れ始めていました。MARCYはまだラフな「神人」の企画を持って、アジア最大のコンテンツ・マーケットである香港フィルマートに初めて出かけたんです。

いや目からウロコなんて言葉じゃ表現できないほどの衝撃を受けました。もちろんMARCY自身が、コンテンツ・マーケットが初めてということもあったんですが、国際的なコンテンツ・マーケットの規模と活気に、すっかり魅せられてしまったんです。

フィルマート2014
香港フィルマート2014の一コマ

写真は2014年のものですが、TAIWANとTHAILANDのブースの前です。こんなブースがいっぱいあって、600社以上の出展があるんです。そして各国のバイヤーたちが、映画やテレビドラマなどの映像コンテンツの商談に精力的に取り組んでいました。

MARCYは「神人~ザンの末裔~」の企画で、シンガポールのATF(テレビコンテンツ中心のコンテンツ・マーケット)やTIFFCON(東京コンテンツマーケット、アジアでは香港フィルマートに次ぐ規模)にも行きましたが、やはり最初の香港の印象がいちばん強烈に残っています。

ハリウッドには比べようもありませんが、香港も映画のメッカです。アジア最大のコンテンツ・マーケットにMARCYが持って行った「神人」のラフな企画はチラシ一枚でした。まだ実写の素材はありませんので、アニメっぽく作ったチラシがこれ。

神人チラシバージョン1神人チラシバージョン1

チャーリーとの出会い

がんばって英語版で作りました。そしてびっくりしたのは、こんなまだペラ一枚の段階の企画に興味を持ってくれたプロデューサーが何人かいたんです。MARCYは英語がまったくダメなので、コンテンツファンドのマネージャーと一緒に商談をしました。

びっくりしながらもとても嬉しかったMARCYですが、ちょっと不思議だったのが、興味を示してくれたプロデューサーたちは一様に、この企画はこれからの企画なのか?と聞いてきたことです。

最初は意味がわからなかったのですが、例えば映画製作資金が集まっているのか、配役や監督、プロデューサーなどのスタッフがすべて固まっているのかということを知りたがっていたんです。つまりスキームはもう変えられないのかという点を知りたがった。

これも後でわかったこと。興味を示したのはみな香港のプロデューサーでした。そして彼らは常に中国本土での映画配給を目指しているということでした。そんな彼らが、まだ実現するかどうかもわからない企画に興味を示す。なぜでしょうか?

その答えは、中国政府の厳しい映画の輸入規制でした。香港のプロデューサーたちは、日本と香港の共同の企画で中国との共同製作を持ちかけるチャンスを狙っているのです。中国との共同製作になれば輸入作品の枠ではなく、国内作品と同じ扱いを受けるからです。

そのために常に、新しいこれからの企画を探しているんですね。そしてMARCYはチャーリーとめぐり合います。若いがすでにかなりの実績を積んだ香港のプロデューサーです。このチャーリーとの出会いで、「神人」は実現に向かって大きく動き出しました。

ここまでで4,000文字を超えてしまいました。続きはまた次回。次回は香港のチャーリーとの出会いからファンドの投資決定にいたるまでをお話ししたいと思います。

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