MARCYの自分史BLOG第4回 自分史の4つの機能 琉球列島米国民政府発行のパスポートの写真掲載!!

母弟妹 自分史BLOG

MARCY5歳 1964年(昭和39年)の世相とは?

こんにちわMARCYです。
MARCYの自分史BLOG第4回目となりました。今回は「自分史の4つの機能」についてです。
その前に・・・今回の写真はMARCY成長して5歳のときの写真ですね。

妹と誕生して1歳になったばかりの弟も一緒の家族写真です。この年、父が仕事の研修で東京に1年行くことになりました。のちに父に聞いたんですが、一緒に東京に行こうという父に対するその時の母の言葉。

なんで私が東京なんぞに行かなあかんねん

だったそうです。京都育ちの母にとって東京での暮らしは想像も出来なかったみたいです。母の言葉に撃沈した父は意気消沈して単身赴任。そして母はというとこれ幸いとばかり、MARCYたち3人の子どもをひきつれて、翌年京都の実家へ1年間の里帰りをしたんですよ。

そのためMARCYは小学校の1年間だけ、京都市立七条小学校で過ごしました。日本復帰前の沖縄から来たMARCYは友人たちに珍しがられたことをよく覚えています。お世話になった担任の名古(なこ)先生は年配の女性教師でとても優しい先生でしたね。

1年たって沖縄に帰る時に、先生がMARCYは沖縄にかえるんだよと説明してくれた時に、友人たちの間で

オキナワってどこにあるん?

あほ、オキナワはアメリカなんやで

うわ、MARCYはアメリカに帰るんや、ええなあ

という会話が飛び交ったのも今となっては微笑ましいエピソードです。小学校1年になったばかりの生徒たちには、当時の沖縄の特殊な事情はむつかしくて理解出来なくてあたりまえです。

この時、MARCYは琉球民政府発行のパスポートを持っていました。正確には母のパスポートに同伴する子と併記されているものですが。これです。

琉球パスポート

沖縄からはこれがなければ京都への里帰りもできなかったんですよね。さてこの年1964年(昭和39年)の世相はどうだったんでしょうか?年代流行でのぞいてみましょう。この年最大のイベントは、なんといっても東京オリンピックの開催です。

第二次世界大戦の影響で中止になった幻のオリンピックから24年。悲願のオリンピックが開催されました。開会日の10月10日はその後体育の日として祝日になりました。女子バレーボールや柔道の活躍、マラソンの円谷選手の銅メダル獲得などが話題になりました。

東海道新幹線の開通、ケネディ大統領の暗殺もこの年ですね。

ファッションではVANのアイビー革命が席巻、銀座をみゆき族が徘徊し、ソニーから家庭用ビデオテープレコーダー、早川電機(のちのシャープ)から電子式卓上計算機が発売されました。森永ハイクラウンチョコレート、グリコの鉄人28号キャラメルが人気を呼びました。

マンガおそ松くんが大ヒットし、シェーが大流行。「愛と死を見つめて」がベストセラーになり、坂本九さんの「上を向いて歩こう」や美空ひばりさんの「柔」が大ヒットした年でもあります。

世界が激しく動いたのがこの年だったんですね。MARCYはおぼろげながらケネディ大統領の演説している姿をテレビで見たことを覚えていますよ。まだモノクロのテレビでした。さあ、世相のふりかえりはこのくらいにして今回の本題にいってみましょうか。

自分史の4つの機能

前回は自分史をつくる意味と自分史をつくるメリットについて、お話ししました。では自分史をつくって活用するときには、どのような活用の仕方があるのでしょうか?自分史活用推進協議会では、自分史の活用の仕方として、4つの機能をあげています。

記録ツールとしての自分史

 自分史は、自分の過去のことをまとめて形にすることで、それを他の人に伝えたり、共有したりできるという記録ツールとしての側面をもっています。

自分の体験を知識や知恵としてみんなと共有できることには大きな意義があるので、ぜひ記録ツールとして活用しましょう。

これが従来の自分史の考え方ですね。自主出版で本をつくって、家族や友人知人に読んでもらうという方法論は、この記録ツールとしての自分史の、一般的な活用法だと思います。もちろん、写真とインタビュー動画を編集して自分史ビデオにすることもできます。

自己分析ツールとしての自分史

 自分史は自己分析するためのツールにもなります。自分の過去の経験をまとめてみることで、自分のことを客観的に見ることができるようになり、自己認識を深めることができます。

そして、自分の好きだったこと、得意だったことなどを振り返ってみることで、自分の強みや長所を把握し、自分の生きがいを見つけ、夢や目標を明確にすることもできます。

自分が過去にやってきたことの意味を見直してみることで、自分の現状への理解を深
め、未来へのヒントも得ることができます。

MARCYの映像サービスに「あなたが監督・主演して映画をつくりませんか?」という商品があります。過去に自分が夢見たことややりたかったことを、自らが映画をつくって実現するというサービスです。

もちろん、夢の実現は映像の中でのことですが、あなたの「もうひとつの自分史」をつくるお手伝いができると考えています。

自己PRツールとしての自分史

 自分史は自己PR ツールとしても活用できます。

自己分析の結果得た自分の強みやセールスポイントを明確に打ち出したり、プロフィールを魅力的にまとめたり、自分の過去に経験したエピソードをストーリーとして伝えるたりすることで、自分について知ってほしい内容を、より感情に訴える形でアピールすることができます。

この活用法は、これからの自分史の活用法として増えてくる活用法です。なぜなら、自己PRのツールとしての自分史は、従来のように自分の人生を生まれたときから現在までを、時系列でならべるものだとは限らないからです。

あなたが一番輝いた体験や活躍した場面を抽出して、パンフレットや映像(動画)にしたりすることができます。より強い訴求力を持ったPRツールをつくる活用法なのです。この活用法なら、あなたの仕事での強力なPRツールをつくることもできますよね。

コミュニケーションツールとしての自分史

自分史を有効に活用することで、よりコミュニケーションを深めることができます。会
社の仕事仲間や家族の間でお互いに自分史を見せあうことで、より相手への理解が深まり、コミュニケーションがとりやすくなります。

また、インターネットのソーシャルメディアなどでも、プロフィールや発言に自分史的な内容を入れて自己開示することで、よりつながりを深めていくことができます。

MARCYが以前に勤めていた会社で、営業の統括部長をしていた時のことです。若い営業マンたちに自分の兄弟姉妹と両親、そして祖父母までの簡単な家系図を書いてもらいました。

そして次にそれぞれの生まれた場所と出身の小学校、中学校、高校、大学を書いてもらいました。MARCYの営業の考え方はとてもアナログなんですが、いかにお客様との接点を多く見つけ出せるかというものです。

自分の生地や出身校だけでは接点は限られていますが、両親や祖父母、兄弟姉妹まで広げるとかなり接点は広がるものです。この方法はある意味、コミュニケーションツールとしての自分史の活用法といえるのではないでしょうか?

MARCYはインタビューした動画と写真で編集する自分史ビデオや、自分史の映画を短編でつくる映像制作分野で、沖縄のみなさんの自分史づくりをお手伝いしたいと思います。

MARCYの自分史ブログ第4回は、1964年(昭和39年)の世相と自分史の4つの機能についてお話ししました。次回は自分史の表現方法についてお話しします。今回は、朝書き始めていったん中断し書き終えたのは夜になりました。

現在時刻2020年1月19日22:33分。それではみなさん、おやすみなさい。

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