MARCYの自分史BLOG第6回 MARCYのご先祖様はあの伝説の美少年!?

1970年上清明祭(中城) 自分史BLOG

MARCY11歳。1970年(昭和45年)の世相とは?

こんばんわMARCYです。MARCYの自分史ブログ6回目をお届けします。
今回からしばらくは、自分史活用推進協議会の教科書に即した「自分史授業は」お休みにしてMARCY自身の自分史の一コマをエピソードとしてご紹介していきたいと思います。

さて、今回のアイキャッチ写真は、1970年MARCY11歳になったばかりの写真ですね。画面奥に立っている野球帽をかぶった少年がMARCYです。小学校の6年生かな。大勢の人といっしょに、山の中のような場所にいます。

どこでなにをしているのかわかりますか?これは清明祭の時の写真です。沖縄の方なら”シーミー”と言えばわかると思いますが、本土の方には意味不明ですよね。詳しくはあとで説明するとして、先ずは1970年といえばどんな年だった?例によって年代流行をのぞいてみましょう。

何といってもこの年最大のイベントは大阪万博ですね。3月15日に開幕し9月13日に終了するまでの入場者数は6,421万 8,770人におよびました。

大阪万博
takato marui [CC BY-SA (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.0)]
出典:日本ウィキペディア/日本万国博覧会

よど号ハイジャック事件が起きたのもこの年でした。銀座にマクドナルドの日本1号店が開店。ボーリングが大ブームになり、国産人工衛星「おおすみ」の打ち上げ成功、しかしアメリカのアポロ13号は、月面着陸ができずに重大な故障を抱えながら奇跡の生還を果たしました。

アポロ13号奇跡の生還は1995年に映画化され、MARCYはその迫真の映像に息を呑んだ記憶があります。トム・ハンクスの熱演がすばらしく今でも好きな映画です。

銀座、新宿、浅草、池袋で歩行者天国が実施され、トンボメガネやサファリルックに身を包んだ若者であふれました。ウーマンリブや三無主義などが流行語で、冠婚葬祭入門(塩月弥栄子)、創価学会を斬る(藤原弘達)がベストセラーになったのもこの年。

黒ネコのタンゴや圭子の夢は夜ひらくが大ヒット。MARCYリアルタイムで聞いたのかどうかさだかじゃないんですが、この曲が大好きでしたね。まあちょっとませたガキだったのかな。そうザ・ショッキング・ブルーのヴィーナスです。

またまた駆け足で1970年(昭和45年)の世相をふりかえってみましたが、この年もいろいろあった激動の年だったんですね。MARCYも小学校6年生ですから、このあたりからはかなり記憶も鮮明になっています。

さて、それでは1970年の一枚の写真から、MARCYのご先祖様の話をしましょうか。

MARCYのご先祖様はあの伝説の美少年?

門中と名乗頭

MARCYの真栄城家は、章氏という一門です。沖縄の言葉では門中といいます。男子は氏名の名の部分に、かならず正月の正の字が入ります。これは沖縄では名乗頭(なのりがしら)という呼び方をします。

真栄城の姓には、名乗頭が“玄”の氏や、”朝”の氏、”徳”の氏などがありますが、MARCYの家系とは別の門中になりますね。このように沖縄の名前は、名乗頭で門中や先祖の出身地がわかる場合があって、営業の際にとても役に立ったりします。

また名乗り頭は昔の平民にはなく、本来は氏族だけの風習です。平民の家には名乗頭はありませんが、屋号がある場合が多いです。沖縄の言葉でいうとヤーンナーとなります。

なぜ屋号があるかというと、沖縄の地方の集落では同じ姓の家がとても多く、屋号でしか識別できないからです。MARCYの妻は南風原の喜屋武という集落出身で、旧姓、田本なのですが、屋号は三男新前平良(さんなんみーめーてーら)といいます。

田本といっても喜屋武にはいっぱいあってどこの誰だかわからないですが、三男新前平良との次女といえば「ああ、〇〇さんのところね」とすぐにわかってもらえるんですよ。

さて、門中と名乗り頭という沖縄の風習はご理解いただけたと思います。ではこの章氏という門中のご先祖様は誰なのでしょうか?実は今回のアイキャッチ写真は、そのご先祖様のお墓での一コマなんです。

清明祭が2回ある?

沖縄の人間ならば、知らないはずのない清明祭ですが、本土の方にはなじみが薄いかもしれませんので、簡単にご説明します。もともと清明祭は中国の風習から来ているもので、24節気の春分と穀雨の中間である清明の節気に行われるものです。

沖縄の風習は旧暦で行われることが多く、清明祭は旧暦の2月後半から3月、新暦だと4月から5月の前半の時期にあたります。

家族、門中がそろって先祖のお墓参りをするわけですが、本来清明祭はお祭りなのです。お墓の前で重箱に詰めたご馳走を広げて、ご先祖様といっしょにお祝いをするおめでたい行事なんですね。

ですので、重箱の中身も赤いかまぼこなどを詰めた慶事用で準備します。MARCYも毎年、ふだんなかなか顔をあわせない親戚の子どもたちと一緒に、ご先祖様のお墓で鬼ごっこやかけっこをして遊び、みんなでご馳走を食べるのがとても楽しみでした。

そして最近ではあまりやらなくなったようですが、清明祭は2回あります。神御清明祭と清明祭です。”御”がつくとシーミーがウシーミーになりますが、これは首里の氏族などが使う丁寧な言葉で意味は同じです。

さて神御清明祭はと清明祭は何が違うかということですが、簡単にいうとお参りするお墓が違います。神御清明祭でお参りするお墓は、その門中のゆかりのあるお墓や昔の領主(按司)の墓にお参りすることが多いですね。一般的に清明祭よりも先に行います。

MARCYの真栄城家の場合、章氏門中のもっとも古いご先祖様のお墓にみながお参りするのが、神御清明祭でした。真栄城家だけではなく親戚の喜友名家、外間家、瀬底家など多くの門中がつどい、多い時には200人近くあつまりました。

この写真は章氏のご先祖様のお墓で、北中城村の若松公園の中にあります。残念ながら章氏の神御清明祭は、いつの間にかすたれてしまい今では行われていません。寂しいけれど地縁血縁が濃くて先祖崇拝の念があつい沖縄でも、古い習慣が少しずつ忘れられていくんですね。

そしてこのお墓に祀られているのが、MARCYの一番古いご先祖様こそが、今回の主役である伝説の美少年なんです。

MARCYのご先祖様、伝説の美少年って誰?

先ずはこの動画をご覧ください。

沖縄が世界に誇るユネスコ無形文化遺産、組踊の演目「執心鐘入」の映像です。昨年の11月にまつもと市民劇場で開催された公演のPR動画なんですが、短い尺でわかりやすくまとまっていますね。

そうです、この「執心鐘入」の主人公である美少年、中城若松こそがMARCYのご先祖様なんです。沖縄観光情報webサイトおきなわ物語から、「執心鐘入」のあらすじを引用しますと

首里に奉公へ向かう中城若松は、道中一夜の宿を乞うために民家を訪れる。その家の女は男が噂に名高い美少年・若松だと知るや宿泊することを了解し、今宵は語り明かそうと言い寄る。若松は、「私は奉公に上がる身である」と女の誘いを拒否し、家を出て末吉の寺へと逃げ込む。住職の計らいで鐘の中に隠れるが、自尊心を傷つけられた女は若松を追いかけて寺へ入り、執念のあまり鬼女と化す。最後には、住職と小坊主がお経を唱え、仏法の力で鬼女を退散させる。

多くの女性がひとめぼれするような、すごい美少年だったんです。この物語の女性は想いが届かずに鬼女に変身してしまうほど、中城若松に恋焦がれました。えっ?「その成れの果てがMARCYかい」って声が聞こえてきそうですね。

いやいやMARCYだって紅顔の美少年だった時代はあったんです。まあ、今はしなびたおっさんになってしまいましたが・・・

組踊「執心鐘入」の物語はフィクションでしょうが、中城若松は実在の人物で、MARCYは中城若松から数えて16代目の末裔です。また、真栄城家は下級氏族で所領を与えられた形跡がありません。定かではありませんが、うてえめーぐすく(謳真栄城)と呼ばれた芸能係だったようです。

女性を一目ぼれさせる美貌は受けつげなくても、カラオケ好きなMARCYは、間違いなく中城若松の血を受け継いでいると思います。若いころの営業マン時代、相次ぐ接待できたえられて「歩くカラオケ接待マシン」の異名をとったこともありますしね。

さて今回は、MARCYの自分史の一コマとして真栄城家のルーツについての物語をお話ししました。自分史は、決して時系列で人生を振り返るだけのものではないとMARCYは思います。

誰でも持っている忘れがたい人生の一コマを切り取ったエピソードを語ることも、またりっぱな自分史の表現方法だと思うんです。

今回のMARCYのエピソードも、自分のルーツを追う少年MARCYの物語ですよね。ほんのちょっとアレンジすれば、自分史ビデオや自分史を題材にした映像をもとにした短編映画にしてもおもしろい。

MARCYの自分史ブログ、MARCYの60年の人生で印象深かったエピソードやを次回もご紹介したいと思います。では第6回はこれでおしまい。

MARCY初体験の名古屋での夜。2020年1月24日22:57分。それではみなさん、おやすみなさい。

 

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